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結婚相談所カウンセラー紹介

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齊藤由美

経済産業大臣認定 個人情報保護団体 一般社団法人 結婚相談業サポート協会MCSA 認定制度資格者

生年月日 1966年(S41)2月22日
血液型 A型
家族 主人・娘・息子・義母
趣味 お菓子作り・イラスト描き・食べる事

私、齊藤由美は1966年2月 大阪府で生まれました。
髪の毛はなく産毛だけ…目も切れ長でまん丸で女の子と言うより見た目男の子!
とても可愛いとは言えない赤ちゃんでした…大人みたいな顔で…(自分でも写真見てそう思う!
可愛くない!)

誰からも『しっかりした男の子ね!』って、『男の子なのに赤い洋服着てるね!』なんて言われ続けていたらしく、初めは、『いえ…女の子なんですよ』って言い返していたらしいのですが『はい!元気な男の子です!』と言い返すのも疲れたらしく…男の子の私だったようです。

父は奈良県のお店が一軒もない田畑に囲まれた田舎で生まれ育ち暮らしていて大阪の会社に勤めていました。母は、大阪育ち!結婚してすぐその田舎で父の両親との同居生活だったので、田舎での慣れない所ではなく、初めての出産という事で、実家近くの大阪で出産ができるようにと家を短期で借り私の出産に備えたようです。生んだ後も半年ほどいて…そして…
6ヶ月になっても髪の毛が生えてこない男の子のままの私を連れ、祖父母の待つ父の実家のある田舎に帰ってきました!
祖父母は、女の子で“可愛い!可愛い!”と、構ってくれ大事にしてくれていたようです。

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田んぼや畑に囲まれた自然いっぱいの村で、のびのび育って…でしたが1歳過ぎてもまばらにしか生えてこない髪の毛に、大人たちは毛生え薬を塗ろうか?と真剣に考えていたようです。

そして、すぐまた年子で弟が誕生!面白い事に弟はわかめのように黒々と髪の毛がいっぱい生えていてびっくり!だったようです。
その時、病院で、『お姉ちゃんの髪の毛、大丈夫だから待ちなさい!』と言われたようで、、、、
毛生え薬を塗る事無く待ったようです。
病院の先生のおっしゃったように2歳になりやっと全体になんとか生えてきたようです…。

やっとショートカットの女の子になれたようですーーーー!

自分でも思うのですが…せっかくの女の子が生まれて、可愛く髪飾りやリボン付けてあげたり
かわいい洋服を着せてと思っていたと思うけれど…本当に男の子みたい…
可愛いのが似合わなかった…って思う!
そんな男の子みたいな私でしたが、お姫様とかお嫁さんの絵本が大好きでいつも絵本を見ていたやっぱり”女の子”でした!!
男の子としてきた私…その反動か?髪の毛が生え揃ってからは髪を伸ばしおもちゃのアクセサリーをつけ、
母のハイヒールを履きと…女の子らしいものが大好きに!
(今も、女の子らしい可愛いのが好き)

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4歳の時にまた、弟が生まれ、私は弟二人の三人兄弟で育つことになりました。おままごとやお人形遊びが好きだったけど、弟とではなかなかできず、仮面ライダー、ウルトラマンのヒーロー者の遊びで、田畑を走り回って、キックのやり合い…!神社で鬼ごっこ!また、男の子に逆戻りか?の状態でした。

田舎で育てられた私は…
イチゴの時期には、近所のおばちゃんが、出荷できない形の悪いイチゴをもってきてくれてお風呂上りにどんぶり鉢1杯、スイカの時期には、祖父が作ってくれ一人半分づつ、柿の時期には家の前の庭で食べ放題…お米は家で作っていたのでご飯は食べ放題でした。

そんな幼少期…農作物には困らなかったけど… ちょっと…家庭に大きな変化が…!
父が、大阪の会社を辞め、やりたかった商売を始めました。珍味の卸の商売でした。
安定した会社を退職して始めた商売…すぐに軌道に乗ることはなく母も、パートに出て 子供3人、祖父母と7人家族の家計を支えてくれてました。昼間働き、父と母と二人、夜遅くまで珍味の袋詰めをしていました。

袋にするめなどを測り、お箸で綺麗に伸ばしたり、形を整えてハサミでカットしながら袋詰めしたり、すべて手作業。昼間も夜もで、今思えば、よく働いてくれてくれていたと思います。育ち盛りの子供3人居るんですものね…大変だった事でしょう。

子供ながらにも、家はお金の面で大変なんだな…と、わかりました。子供って大人が思っているよりすごくよく感じわかるんだと昔を振り返り思います。すくすく大きくなる3人…服を買うのも大変そうで近所の人からのお下がりばかりで、同級生の女の子が新しい綺麗な洋服を着ているのを見ては、いいな〜お姫様みたい…って…憧れて見ていました。

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自転車も子供用がなく おじいちゃんの大きな荷台付きの茶色い錆びた自転車で友達と仕方なく出かけたりでした。恥ずかしいな…私だけおじいちゃんのか…っという思いはあったけれど…言えませんでした。昔は、今の時代より貧しい環境ってそれぞれに多くあったのかもしれないですね。それでいじめられるという事もなかったです。良い時だったのでしょうね。父と母の頑張りで中学の時には塾にも行かせてもらえました。毎月の月謝が大変だっと思います。でも、おかげで無事に、公立高校入学!(費用面で、私立は絶対駄目!でしたから・・)弟、二人もまだ後に続いてますからね!両親は毎日仕事、仕事の日々でした。親子でゆっくり何処かに遊びに行く事って本当になかったですね。

父から、珍味の袋詰めを200個、300個しておいてとメモが私に置かれていた時…心の中で『え〜っ!』っと、思いながら仕方なくしていた私もいました。少しでも私が手伝ってあげると夜の袋詰めが楽になる、少しでも両親はその分早く寝れるとわかりながら…いい顔せず引き受けていたダメな私もいました。一人で珍味の袋にサキイカを計り、お箸で袋の中で綺麗にのばしガチャンと機械で封をして箱詰めをして…。とか、焼きふぐを形よく切って袋に並べたりとか…。今でも、お店で色んな珍味の袋に入った商品を見ると、当時の事を懐かしく思い出します。

高校卒業後…・
私には、年子で弟がおりましたし、弟の方が勉強も出来た事もあり、何を勉強したいという強い目的もなったしで、学費のかかる大学進学をせず、大阪のOLになりました。高校の友達は、ほとんどが進学で、就職組は少なかったのですが、就職担当の先生がよくしてくださいました。その先生が、『公務員試験を受けたらいい!女の子ならそれがいいよ!』と、最後までアドバイスしてくださっていたのを思い出します。

なのに、地元公務員より、田舎でない大阪に行くんだ!ビジネス街のOLになるのが、かっこいい!と…素直に聞かなかったです…。
後に先生の思いが後でわかる私に出会いましたが…。
OL時代は、色んな事が初めての事ばかりで面白く、バブリーな頃でしたので仕事も楽で、上司も含め、
皆に余裕ありとても良い楽しい時でした。洋服も自分で好きなものが買えるというのも夢が叶って嬉しい事でした。

そんな楽しい時でしたが、そんな仕事らしい仕事も毎日していないし、家の夕食の準備も母に代りするには、大阪から帰ってでは、なかなかできないな〜っと考えてたのと、時代的に25歳までに結婚しないとダメとされていましたので、そろそろ結婚してお嫁さんになる動きもしなきゃ!と、待遇よい会社を辞めて地元奈良で何か仕事を見つけて、結婚へ考える自分へとしました。

辞めてすぐにおばあちゃんが腰の骨を悪くしたので、病院への送り迎えの事と、家の事が私の仕事になりました。落ち着いたあと、色々なアルバイトをしながら呑気に過ごしていました。そんな時に身内の旅行会社でパンフレット整理の仕事を手伝って!っと言われ『いいよ!』と、軽いノリでOK!

これが私の人生の分かれ道だったのだ…っと今思えます!

家族旅行も1度くらいしか行った事なく、時刻表の見方も知らない私でしたので、パンフレットにハンコを押して、整理してだけしかできない私でした。でも、私の夢は25歳までに結婚して子供を産んで可愛いエプロンをつけ毎日手作りのお菓子の甘い香りに包まれた中、ほんわかな子育てをする事でしたから…仕事は、なんでもよかったのです!

パンフレットの仕事の合間に、社員の方から、『時刻表の見方教えてあげよう!』『旅館 ホテルの手配の仕方教えてあげよう!』『機械で電車の予約の仕方、発券方法教えてあげよう!』と、お声をかけていただき、何も知らない私でしたが、少しづつ仕事のお手伝いができるようになっていきました。で…気がつくと私も社員の一人に…。

接客業のお仕事は、アルバイトで喫茶店やお好み焼き屋さんで少し経験はありましたが、旅行業は、また違いました。物を売るのではないのです。お客様の思い、ご要望を聞き、コースを作り、ホテル、旅館の方とお客様の思いを確認しお願いし、昼食、観光のご案内も含め、限られた時間で楽しい時を作れるかを考え、旅行会社、宿泊施設、交通機関、観光昼食施設の人対人の中で作られるのです…。

物を売るのではないので取り換えもきかない、難しいお仕事ではあったのですが、お客様に合うコース 旅館を選択し、お帰り頂き、『楽しかったよ!良かったよ!また、お願いね・・ありがとう』と、温かな言葉を頂くと、本当にうれしかったです!旅行の事を何も知らずの私だったのに色々教えてもらい成長できました。もちろん25歳までの結婚に向けての出会いも、一応考えいましたよ〜〜〜〜〜!!

でも、私は自分から、気持ちを男性より先に伝えるとかはできない人でしたので、気持ちが伝わるのを待ってたり…とか、私に興味を持ってくれた方との時を持ったり、合コン、紹介、お見合いもしました!

私も、婚活考えしてましたね〜〜〜〜!

4で、、、、主人と21歳で出会いがあり22歳で交際スタート…・24歳で結婚しました!!
それまでに、色々、、、いや、少し…ドラマもありました…よっ!
詳しいお話しは、内緒…・(^-^)

25歳までの結婚目標達成はできましたね♪
夢であった花嫁さん…小さい時の絵本で見ていた衣装を身につけ、とても嬉しかったです。
仕事は、子供ができたら辞めよう!っと思っていました。
…可愛いエプロンの似合うお母さんに!甘い手作りのお菓子の匂いのする家で子供の帰りを待つお母さんに!…が次の夢でしたから…・。
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結婚1年目は、子供の居ない時を過ごそうと考え、考え通り二年目に子供が生まれました。
H4.8女の子誕生。初産で…出産は大変でしたね!母、女性の強さがわかりました!でも、子供の顔を見て大変さは吹っ飛びました。感動でした!生れてきてくれた事に感謝で涙がいっぱい出てきました。

当時28歳で公務員の主人のお給料は、余裕あるものではなかったのですが、贅沢な暮しは望んではいなかったし、子供の頃から、私は仕事より子供との時間を持とう!子供が学校から帰ってきたら、手作りのお菓子で迎え、お友達もいっぱい家に遊びに来てもらおう!エプロンの似合うお母さんになろう!の思いが小さい頃からありましたので、子供を産んだ後は仕事は辞めようと思っていました。お腹の大きい時、なかなかお客様との関わりもあり、色々と仕事も忙しかった事もあり、妊娠しているとはいえ元気な私でしたので出産予定日まで仕事をしていました。
朝から晩まで大きなお腹で…でも、出産を機に仕事を終えるからの思いもあったので…。頑張れたのでしょう!娘は、育てやすい赤ちゃんで、スヤスヤよく寝てくれていました。穏やかな時を過ごしていた生れて1カ月が経った時、突然!…電話が会社よりかかってきました。

『悪いけど、明日、朝から赤ちゃん連れて会社にちょっと連れてでいいから来てくれない?』
って…言われ、なんだろう?と思いながら子供を連れて行くと、経理のおばさんが居ました。
すると…・『ちょっとお願があるの…今から言う事を書き留めてね!』って言われ、用意されていたノートと鉛筆で、何??っという間もなく
『バスの支払いはね…・』『支払い日はね…・』『記帳はね…・』『会計事務所の方とはね…・』『銀行さんとはね…・』っと、必死で聞き、書き留めるのが精一杯だった!

途中、何故?私が経理の事を聞くの?…と、聞いてみた。すると、『私は来週辞めるから、齊藤さんに引き継いでとなったの!』…っと言われました。
びっくりしました…!!!
経理なんてしたことがない…何?私、無理!!赤ちゃんも居るのに…無理!!聞いていない…そんなこと!!

『無理』と、経理のおばさんに伝えたが、お構いなしだった。とにかく早く誰かに引き継ぎやってもらわなきゃ…だったのです。
朝から晩まで1日かけ1カ月の流れ、業務を説明されました。
私は訳がわからないまま…でもおばさんは、来週から居なくなる…聞いておかなきゃ!ってなっていました。
旅行会社の経理業務は、色々な科目仕訳があり旅行業務を少しわかる方でないとすぐに理解できないところがあるという事で、日にちのない中の引き継ぎなので、業務がわかっていての私ならとされたようです。

これが、身内の会社に何も考えず いいよ! のノリで入った私の運命でした。
運命とはいえ…運命と捉えられるまで色々な葛藤がありました。
入社してからずっと…身内の会社という中で、経営者側(身内) 従業員側(他人)
の立場、両方の気持ちがわかる中で、間に立ち色々な思いが走っては考え、悩み居たように思います。時には、従業員側の立場に立ち、経営者側と意見対立となったりでした。で、経理を私がする事、身内との意見対立、仕事の量…・と、気持ちがしんどくなりました。

でも…経理をする人は居ない…・手配の仕事だけでも夜遅くまで大変な状況を知っているだけに、他の従業員さんに引き継ぐという事も無理でした。そうする気持ちも持てなかったのです。身内の会社だけに簡単に逃げれなかった思いもありました。突然私にやって来た経理の仕事をするにあたり、会社に行かなければいけない中、母乳しか飲まない娘で、預けたりもできず(哺乳瓶変えたりミルクの種類変えたりしたが無理だった)かごに1カ月の娘を入れて会社に行くことになりました。

私の…心の中にあった”預けたくなかった気持ち”が赤ちゃんに通じたのだろうか?
赤ちゃんが…せめて一緒に居れる時をとの気持ちを叶えさせてくれたのだろうか?と…思いました。
ここから、私の夢のお母さんが崩れて行ったのです。

経理の仕事だけしてくれたらの言葉もあり、手配の仕事の時より楽になり早く帰れるだろう…の思いは早くに崩れ去りました。
私に今までの手配での仕事で、いろんなお客様との関わりが出来ていた事で、経理をしながら手配の仕事をもするようになってしまっていて…。わからない知らない経理、今までどおりの手配、慣れない初めての子育て、もう朝から夜遅くまで、手いっぱいだった私。今なら、『誰か出来る人を探して入れて、私、もういっぱいいっぱいで無理』と、言えるだろう…でも、あの時は、ただしなきゃいけない!と、することに追われて余計なこととかが考えられず、ただひたすらこなしていました…。

こなさなきゃ…ってそれだけ…必死だった…。ぼーっとする時間なんて全くなかったです!
会社で母乳を与え、(会社の奥の部屋で)一緒にゆったりとする間もなく泣いてる子供を抱きながら接客していたり… お客様も良い方ばかりで助けてもらいました。私が仕事をしている間に子供を抱いてあやしてくれていたり…

今、振り返ると…そんな私に…みなさん、よくしてくださり、本当にありがとうございます!の気持ちでいっぱいになります。経理も会計事務所の方が色々教えて下さり頑張れました。そんな中なのに、私は、二人目の子供を望みました。2歳違いぐらいで子供がほしかった…娘が育てやすい子供だったおかげでだと思います。赤ちゃんなのに、『お母さん忙しいのよ…ごめんね。おとなしく待っていてね。』という言葉に答えてくれていました。望み通り、二人目妊娠。大きなお腹で1歳の子供を連れての出勤。

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経理業務は毎日必要で、また出産ぎりぎりまで仕事をしていました。経理の仕事も、持って帰って夜中2時、3時は、いつもでした。寝ない忙しい母で赤ちゃん…大丈夫かな?落ち着かないよね…っと思いながら…H6.10月 男の子を出産!女の子と言われていたのに生れてびっくりの男の子だったのです。でも、嬉しかった!男の子の誕生に主人も喜んでいました。…・が、女の子をさきに育てた私にとり男の子は大変でした!

やはり二人目も母乳しか飲まず、でも、女の子と飲む量が違うからすぐに授乳!泣く声も大きく…
2歳になった娘と息子を連れての出勤…・二人になるとまた大変で、息子は首が据わると今では
みんなしなくなった胸でバッテン紐で背中に括り付け、そんな恰好で忙しい時は、カウンター業務をやっていました!

お客様もびっくりだったろうに…みんな優しかった。頑張りや!っと…必ずおっしゃって下さいました。 感謝です…。会社でしかできないことだけ会社でして、家に仕事を持って帰って夜に仕事をしたりと、またフラフラになり、とうとう疲れがピークに来たのか顔面ヘルペスになり顔半分に水泡ができ、耳までも出来ていました。

病院で顔がゆがむかも…と言われました。ショックでした。鏡を見ては泣けた日々でした。私、何?と…。ただ、悲しかったけど…。でも、頑張ろう!とまだ思えていました。今、思うと強かったな!っと思います。毎日点滴を二本。入院しなさいと言われたが、子供二人と仕事のことがあり、通院でとお願し、約二週間…。有難いことに顔はゆがまずすんだ!!よかった…!

その頃の自分に会えたら、よく頑張っていたね!っと伝えてあげたく思う今の自分がいます。経理業務をなんとか落ち着いて出来るようになってきたかと思ったら、手配の若い女の子が、みんな結婚で辞めていったりがあり…身内の私は、また、変に気を使い…手配も頑張らなきゃ…と、自分で自分を作っていました。

夢のお菓子の甘い香りに包まれたエプロンが似合うお母さんとは程遠い自分が居ました。遅くまで子供を連れて仕事して帰る時、今と違い早くスーパーが閉まったので、娘と息子と走って蛍の光の音楽が流れる中、すぐに帰って食べれるお造りなどを売れ残りの中、探してレジに走り、また車まで走って、バタバタと家に帰り食べさせていました…手作りのお菓子どころではない…時には車の中で、子供達は寝てしまい食べさせられず、お腹をすかせたまま寝てしまった事もよくあったのです。

そんな時は、車の運転をしながらフロントガラスから星を眺めてはよく泣いていました…
私は何をしてるんだろう…と、思いながらも、身内の会社だし、頑張らなきゃの責任感でいっぱいだったあの頃…。

主人は、土日お休みの時は子供をよく見てくれていたし、仕事が早く終わると、職場に子供を連れにきてくれたりもしました。仕事、子供の事考えると…辛いと言えば、辞めたらいいと言ってくれてただろう…!でも、私は”頑張る!”と、言い張って強い自分を作り切っていたので、肩の力も抜くことなくとにかく必死でした。

仕事、家事、育児に追われ余裕がなく全く自分の時間がありませんでした…が、私は、今そう思えます。。 仕事が好きだった気持ちもあったと思う。だから、頑張れたのだろうとも思います!お客様 人との触れ合いが好き、仕事を一生懸命した後、お客様に伝わるものがある事がわかってきていってたのだろうと思います。それゆえ、悩んでいたのであろう…家庭、子供、仕事、30歳代の私。その頃、人生とは?とか生き方はとか…・ 心が落ち着いてなかったので、今まで読んだことのなかった本を、買ったり、借りたりして読んだ 『人生』、『運命』とつく本が目に付くと手に取っていました。

その中、”そうか!”と、表現は違うがどの本にも共通する考え方があると気付けました。”自分が乗り越えられない事は人生の中で与えられない。だから大丈夫!” ”プラスファクターをいっぱい出せる自分になる事で、プラスの作用を引き寄せる。だから、前向きに笑顔いっぱいでプラス要素を発せられる自分でいよう…” ”頑張ったら、自分にご褒美を与えてあげよう!頑張っていてばかりでは駄目!”

この事で、自分の中で心のもっていき方が変わったようです。どうして私は、夢通りの人生ではないの?の思いが強かったが、じゃ〜どうすればいいのか?という事や、考え方を少し変えれば、仕事をさせてもらえ、おとなしく母を待つ子供も居てくれ、幸せな家庭もあり、元気に生かされている…と、いう事に気づかされた自分がいました。

きっと、人生の中で、私に必要な教えを与えてもらえた時期だったのでしょう…。
今、本当にそう思います。そんな、落ち着いた自分になれた時に、
人は一人では生きれないな…という事を思いました。私は、家族の存在があり、会社の人、友人、周りの人の存在があるから、話したり笑ったり泣いたりでき、存在に支えられてこれた…っとすごく思いました。
7で、特に、家族を作るという事はいいことだな…と、思えました。同じ家に暮らし、一緒に色々な思い出を作っていける家族ってすごい存在!一人じゃない、家族のためにと、思える人の存在がある事でエネルギをー出せるのです。子供を持つという事が家族を持つすべてではないが、縁があり子供が存在する家庭となれば、自分の時間も少なくはなるが、いっぱい教えられる~いっぱい成長させてもらえる事に出会えるのです。そして、守ってあげる人が居るという事で、自分を強く持って、一人で居る時よりも頑張れるのです。

主人の存在もいろんな面で心強いです!仕事や色んなことでの愚痴もお互い言い合い、聞きあいできました。
私は、主人の母と同居もよかったと思っています。時に年代の違いで…??ってなったり、あら~~~それは…と、いう事もお互いあるが、子供にとってもおばあちゃんの存在は温かい。教えられる事もありました。

そう思えるようになった私は、ふっと考え思った事がありました…。
旅行会社での手配でハネムーンをたくさん扱ってきたが、どうも年齢が高くなってきてる事と、数が少なくなってきているな…っと…
聞いてみると、『結婚はしたいが出会いがない!』と、いう事でした…。
それは、もったいない!!出会いがあれば、きっかけがあれば、家族を早く作れる可能性が早くなるのに…っと、思った私は、“じゃー!私が動こう!!”っと思いました…

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一人じゃない人生を作ってみてほしい…一度の人生なら、自分の家族を作ってみてほしい…一人でいる楽さもあると思うが、結婚が人生のすべてではないが、家族の居る楽しさも知っての人生もいいと思うから…・!私も、みんなも、人生いつまでかわからない…なら、せっかく生れてきての人生!いろんな経験しての人生をと思う…

結婚したい…家族を持ちたい…・気持ちあるなら動いてほしい!
気持ち出してほしい!先の人生で、振り返り…あ~~!あの時、もっとこうしたらよかった…を、出来るだけ、しまった!!っという自分を作らないようにしてほしい…
今を大切に動いてほしい…そう思います。

“私は、結婚してよかったと思うから…家族が居てくれてよかったと思うから”
結婚したいけど…・出会いが無い!って言いながら時が流れているなら…動いてみてほしい!運命の人が…きっと待っているから…。

ハピネスハートで 今より 前に一歩 踏み出してみませんか?

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